家紋を描いて60年。変わる世の中に
だれもが仕事を自由に選ぶことができ、転職や副業をして別の仕事もすることができるようになってきているこのごろ。きっと仕事は食べていくため、お金をえるためだけではなく別の何かを求めるものになってきている。
では、自分で選んだ道でなければどうだろうか?
例えば1950年代、当たり前だが働かなければ食べてはいけない。
お話を伺ったのは京都の紋章上絵師(もんしょううわえし)の木下偉義(ひでよし)さん。今年75歳になる。
「これしか、しようがなかったんですよ。うちは貧乏やったからね。学校もいかれへんし。ほんで、これやろかって」
木下偉義さんが家業である紋章上絵師を継いだのは60年ほど前のこと。おじいさんの代から始まり、偉義さんで3代目。
紋章上絵師とは、着物に家紋を描く職人さん。
先々代が家紋を描き始めたきっかけを伺うと、こんな風に話されました。
「そういう事にあんまり疑問を感じんかったもんねー。どういう風に思ったのか知らんけど、おじいさんがやり始めて。ほんで自分もなんか、せなかんからやりはじめて」
同席していた着物屋のご主人からは「何か野心があれば、他の事をやってたかもね」と冗談を言われ、木下さんは「野心もないし~、お金もないし~」と返し、ゆるーくやり取りをしていました。
「紋は大したことないし~」と終始、謙遜される木下さん。しかし紋は一朝一夕に描けるものではないようです。
紋は紋帖という日本全国の家の紋が載っているものからデッサンし、渋紙という特殊な紙で紋の型を彫る。
その彫った型を着物に乗せ、墨を上から塗っていく。そうして模様の輪郭より外側の部分を塗り終える。
そして次は模様の部分。着物に直接、円と線を描いていく。定規とコンパスのようになっている筆を使う。
木下さんはこの時、何も考えずにすーっと描く。そうして出来上がる。
ちなみに、墨を落とす技術があるからやり直す事もでき、緊張はしないのだとか。
家紋を描く上で大事なことがいくつかある。
その一つは線の細さ。薄ければ薄いほど良い。薄いというか細い。そして、それでもはっきりと見えることが大切。
「途切れんと、すーっと描ければいい。細くなると、どっか途切れるやんか」
「薄く、はっきりってとこが微妙なことやね。紋を印刷する業者が『どこからでも濃くはっきり見えまっしゃろ』って宣伝してはるけど、あれは職人から言うとへたくそや」
もう一つは墨の濃さ。いつも同じように仕上げなければならない。生地によって染み込みの早いもの、遅いものがある。だから生地に合わせて変えていく。
墨の濃さは同じ生地、一つの着物に描くときでさえ、気が抜けない。
「同じ色で家紋を6つ並べる。なかなか描けるものじゃない。長年やれば自然とできるようになるんだけど」
「あと背中、両袖で一つの着物に3つくらい描くコトが多いけど、それも揃えなきゃいけない。片方が薄くて、片方が濃ければアウトや。ところが最近はそういうのが多いんや」
近年、紋のデザイン性がフォーカスされることはあるが、こうした技術も残っていくだろうか。木下さんはこのコトについて、さらっと「もーこれ、廃れるね。なんか変化を加えれば別だけど」と。
昔は結婚式があれば袴やのぼりの新調、もしくは嫁ぎ先の紋の入れ直しなどで、一度に多くの注文が来ていたそう。夜も寝ずに描くことがあったのだとか。
でも、現在は紋章上絵師としての収入だけでは生活できないほど。
「やっぱ着る人がおらんと。もう今、飯食っていけへんし。だから教えてあげるわけにはいかへんし」
着物屋のご主人もこんな風に話されました。
「日本から正統な技術がなくなっていく。透写してったらパソコンで行けるし。だから見た目は残るだろうけど、“人間がやったもの”という形じゃなくなりそう。コストがかかる。今の日本はなんでも、かんでもコストとして考えるね。一分が何個って換算される世の中だ」
家紋はその模様によって、手間が全然違う。ものによっては時間が10倍違う家紋もある。
「その分、手間賃くれって言ってもね~。他よりずっと時間がかかるけど、『料金を倍くれ』とはいわれへんもん」
もともと、そうなってるというのもあると思いますが、木下さんのこの言葉は現代の考えとはまた違うものなんだと感じました。
取材を終え、着物屋のご主人に車で駅の近くまで送ってもらった。その道中、ご主人は少し木下さんについてこんなことを話してくれました。
「あの人は本当に、技術に自信がある人でね。ほんで、あの人が紋を新しくデザインしてるんは、紋の伝統を残していくためにやってる」
でも、木下さんからは「遊びでほってみたんですよ」と。少しはぐらかされちゃいましたが、そこにはどんな思いがあったんだろうなーって思ったり。
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